2020-05-01から1ヶ月間の記事一覧

貞彦編〔41〕

平均以上の頭脳を持った両親に育成され、あたしは文章の基本を習得しています。小学校に入る頃にはすべて語彙も語感もある程度理解。しかし自然に恵まれたこの土地に移住して来ても、まだ、自分の犯した罪に雁字搦めになっていました。いつになったらこの罪…

貞彦編〔40〕

長崎えほん風土記の監修の役目を岩崎書店と県から委託されたのは父が市会議員選挙に惨敗した二年後・・・そこを思うとどんなに父が恵まれていたかも分かる。あたしが最初の結婚を決めた23歳の頃です。男性なら正直で荒くれものがいい。あたしの理想としてそ…

貞彦編〔39〕

誰と誰がペアであたしの頭に収まっているか、それをすることで記憶障害を阻止出来ている・・・ってこれは以前はてなブログでも発言したんですが、いっこうに名前が出て来ないっていう時、みんなも経験あるでしょう。モト冬樹さんもルー大柴さんとタグにして…

貞彦編〔38〕

天国にいる父も自分がスケッチされていることを知りきっとドギマギしていることでしょう。スタンドプレイヤー型人間って結構キモッタマこまいし、意外にも慎重でディティールにも拘る。しかしあたしは父のその頃を誰よりも見ていた人物。心の中で父はかなり…

貞彦編〔37〕

男なら立身出世を望まない方がおかしいし、そのキッカケになったものこそが敗戦でしょう。経験した者にしか味わえない苦難、そしてそこを試金石に出来れば・・・しかし明瞭な策はありません。父のモガキはあたしの心に伝わってきますが、あたしが高校に入学…

貞彦編〔36〕

あたしは伯母から和田家の歴史を記録してくれと言われてその当時は書く意味について自問したほどです。この人、何言ってるの?っていぶかったほどです。しかし一回目の結婚を終わりにして、それから二十年も経過してあたしが中二の時に伯母はもう一回結婚へ…

貞彦編〔35〕

ちょうど海軍記念日が来るので、伯母と学年がひとつ下だった父の生年月日に及ぶことにしましょう。二人とも符合論をまっとうしています。ツインだったかも?っていう位に酷似。残念ながら、92歳になることを、二人ともが達成出来なかったんですが、調査する…

貞彦編〔34〕

みんながきっと思い違いをしていたとすれば様々な場面挙がるでしょう。父は我が子の成績不振を誰のせいでもなく本人達に責任を持たせていたこと。その証拠に人生の落伍者というセリフです。いつもあたしたち姉弟に対して発していた。人生の落伍者になってし…

貞彦編〔33〕

当時を振り返るとあたしがなぜ、心が充実していたのか、そこも思い出す。あたしは1998年からこの父が出版した2003年の五年間、世紀末思想を考慮しエッセイを書きあげていたのです。五年半、原稿用紙で8000枚ものエッセイに邁進出来たのもその頃、自分の中に…

貞彦編〔32〕

父にとって二人の子供なんて、お荷物に過ぎなかったのか・・・そして子育てにいわば失敗した母のことも採るに足らない存在だったのか・・・あたしは萎れる心で次の文脈を発見するのです。133ページに入った時。私の知人に子どもで苦労している人があります。…

貞彦編〔31〕

沢山の発奮があれば、いいものが書けるか?というとそうではなく意外なものがヒットの可能性を秘める。それで重々に慎重にあたしが父の本をお手本にどういう傾向の書物でいく?の吟味に入った、そこが顕著になるあたしの四十代の後半です。父は確かに遜色の…

貞彦編〔30〕

作家というのは因果な商売でそういう気質って中学校教員の父にはすでに奥底にはあったのかも?って。なぜなら後年、七十代を過ぎて八十代になって自分がその年齢に到達したらやりたいこと、その全容をあたしに告白したからです。今思い出しても父の意欲は十…

貞彦編〔29〕

特にあたしが獲るのが隔世遺伝子強の論点です。両親よりもむしろ極端に現れてしまう。嬉しいことですが、特に今まで感じなかったものを最近は特に感じるようになっている。書に向き合う時・・・隣から絵を描かせてくれ!!って聞こえるのです。僕ならこうい…

貞彦編〔28〕

あたしが父を査定するとき、真っ先に評価するのがその人間性です。それは弱者を優先するという視線ではなく、非常にシビアなのです。戦争に行って負けて帰ってきた人間はそれこそ、生きることにかけてシビア。努力してのし上がっていく者には文句をつけない…

貞彦編〔27〕

人様を先に行かせているのが、負け組です。父も負け組と世間から評価され、常に言われ続けた。そこが弱いんだろ?って馬鹿にされ、弱みを突かれた人間です。いい大学は出てないし、目立った良さもない。どこで父の人生を基準に出来るのか?ってみんなが疑問…

貞彦編〔26〕

普通は負けるとくやしがったり、悲しんだりと、もう二度とはこんな挑戦はしまい・・・ってそう縮むのに、父には不敵なあつかましさがあったのです。そして並行作業感覚。教職はそんなに甘いものではないのに、サイドワークで違う職種を目指してこつこつ勉強…

貞彦編〔25〕

父ははっきり五十代のあたしのことを、容子さんは欲張り!!と表現しましたが、三十代の父こそ欲張りです。やっぱり親子なのかなあって。しかも運動が苦手とはいえ、息子を見ると、足がメッポー速い。これ、どうなっちゃっていたんでしょ。あたしは父に似て…

貞彦編〔24〕

父は長崎大学の医学部を落ちて師範学校に行くのですがその前、中学の時点でも勉学で振るわず、体育も苦手で夜間中学に行く。しかしその時同窓だった方の中に寺出身の生徒がいて後年の七十代、そこで布教使の免状を獲るのです。父は恵まれていたと言えるでし…

貞彦編〔23〕

さい〔才が架かる〕は投げられた・・・っていう感覚でいていいでしょう。いつでもオンライン投稿で顔を見せてもいいっていうオープン志向で今あるあたし。誰も邪魔はしないし、オンラインにどうすればなるか、パソコン設定が分からないだけのあたし・・・。…

貞彦編〔22〕

ある日あたしはレイテの戦いの戦列を見ました。父が復員するとき、お世話になった槇がいたことで、すぐさま、符合論を展開します。五十代を過ぎるまで脇田大佐のことを詳しく調べたことがなかったんです。霜月さえ、村雨さえ、あの雪風さえ知らなかった。そ…

貞彦編〔21〕

戦争に出征し負けて捕虜になり、それでも、生きて帰れるだけでも希少なこと・・・それに上乗せして何かを望むなど、当時の庶民には考えられず、日本そのものがどうすればいいのか?悩みながら考えあぐねながら日々生きることが精一杯。正しく死にもの狂いと…

貞彦編〔20〕

父の相見違う点は、あたしも父の存命中、何度も遭遇で、例えば、卒寿を迎えた時。うちに一ヶ月引き取っていた期間があったんです。関東大震災の年に父が生まれていますから2013年二月。あたしは、計算高く考えていたのです。父の年金が振り込まれる通帳を預…

貞彦編〔19〕

日本はこの敗戦をきっかけに大きく軸を取り直します。民主主義の世の中になって人々の思いも日々闊達になっていく。戦後十年はそれ相当に食糧不足に苦しむけれど、あたしが生まれる1956年の前の年、画期的な枠組みに国は燃えています。55年体制です。揺るぎ…

貞彦編〔18〕

父はどんな気持ちで戦争に赴いたのか…恐ろしくてたまらなかったことは直に聞いています。台湾に着くまでに何隻かは沈んでしまい、その状況に息を飲んだことでしょう。ひとつだけ親孝行出来たかも?って2013年くらいですが、父を思い出の場所に連れて行けたこ…

貞彦編〔17〕

正直言ってこの前のナベツネインタヴューで不快感を感じました。まるで戦争に行って亡くなった人々を冒涜するような物の言い方に怒りを覚えます。国民は馬鹿でも何でもなく、国を守ることが出来るとそう信じて出征したのに、あの言い方ではまるで軍部にいい…

貞彦編〔16〕

父を描くのか、それとも父の母親タヤリンを主体に描くのか?それともマレなのか?って私も随分最初は迷います。しかしここに来て大きな枠組みが出来て書き易くなっています。とりま七つの宝石のうち、ピーパーウーマンのマレこそがきっと全女性の憧れの的!…

貞彦編〔15〕

父にも赤紙が来てそれはタヤリンにとってどれほどの悲しみなのか・・・戦地に行くことを拒むことは出来ないにしても自分は談判に行く、この構想は今のあたしでも無理・・・と怖気ずく。なぜなら人と同じようにっていうのは庶民の感覚に鉄則として織り込み済…

貞彦編〔14〕

符合といえば、脇田大佐が昭和19年11月に亡くなる二年前、17年の9月末に、タヤリンの夫、光男は亡くなっています。まだ、赤紙が貞彦に来ていない時ですから、戦地に行くことを或いは心配していたかもしれません。光男は前の晩は普通に元気だったのに、朝、寝…

貞彦編〔13〕

ちょうど数字が遭うことが符合論者のテレマークですが、母の家族も、女子三人と男の子が一人。全く符合しているんですね。本当にそれを知った時には驚きます。母の家は、姉兄母妹となっていますが、父の場合、姉姉父妹。それぞれの家は男の子を中心に動いて…

貞彦編〔12〕

タヤリンの長女は四人の息子とひとり娘をもうけ、その内の、一人の男児を和田家に連れて来て育てていました。戦後のあの食糧難を思えばそれも理解可能なんですが、タヤリンという女性、普通の女性以上に賢かったのか、中々戦後、半年が経過しても貞彦が戦地…