貞彦編〔16〕

 父を描くのか、それとも父の母親タヤリンを主体に描くのか?それともマレなのか?って私も随分最初は迷います。しかしここに来て大きな枠組みが出来て書き易くなっています。とりま七つの宝石のうち、ピーパーウーマンのマレこそがきっと全女性の憧れの的!!マレという名前もそうですが、生きたいように生きることが確約されている。そんなことは実際起こりえないのです。みんなが何かしらの業に絡まれている。宿命の絆に端を発している。生まれた時から誰の力も借りず悠々自適に生きるなんて、どんな設定上の厚遇があっても無理。しかし他の六つの物語と切り離してマレを詩歌の泉の中に放流したことで大きく別個展開したのです。寂しくないよう相方も設定した。マレは私にしょっちゅう、タヤリンを描いてくれ!!って懇願した。私が高校時代からです。なぜ、タヤリンだったのか・・・それは一時代、頑としてあった母親と子供の強い絆が標榜していたと思う。マレは死産して家に戻る決意をする。半ば強制的にタヤリンが関与し一回目の結婚を終わらせる。今ならたとえ子供がダメになってもそういうことにはならない。しかしタヤリンが親から受け継いだ教えではそうなのです。母親が子供をいかに育てるのか?重大な疑義と役割だった。自分が貞彦の最初の嫁にお暇を出したように、次女のマレの夫に手紙を丁寧にしたためて、タヤみずから離縁のお願いを申し立てています。明治の女の律儀さ、そして、はっきりした自己主張、これらは昭和になってもまだあちこちに温存され、形を変えながらも残っていたという証明でしょう。