貞彦編〔22〕

 ある日あたしはレイテの戦いの戦列を見ました。父が復員するとき、お世話になった槇がいたことで、すぐさま、符合論を展開します。五十代を過ぎるまで脇田大佐のことを詳しく調べたことがなかったんです。霜月さえ、村雨さえ、あの雪風さえ知らなかった。それで、よくも今、自分の物語語れるなあってみんなが驚愕するかもしれない。意外に穴があるんです。本を読まなかった・・・。それをすると、自分が既に生まれた時に与えられた資質が埋没するようで怖くて抑えていた。あたしが発表する短歌や句・・・こういった創造的な産物は生まれる前から約束されたもの・・・っていう観念を獲っています。例えば、最近発表の川柳にしても、ああ!!これは意識の中で隠れていたけど、既に自分の中ではあったもの、死ぬ時になって記憶の遺伝子として次の世代に受け継がれる・・・っていう関連。そこはすでに見えている。西暦1956年に誕生した時からすべてが設定済み。だったら人の書物に感動し影響を受ければどうなりますか?最悪、変化してしまう。書物は人間を替えてしまう触媒だからです。あたしは素直に啓示に従って人の書物を中学から読まないようになっていました。それで、身内のことも後回し。しかし固定ヒストリーがあってそれを度外視出来ないなっていう観点に今立っています。言質を常に読者に与えているというより、獲られている作家、服従しないといけない。あなたはおじいさんのことも知らずに何やってたんですか?は怖かった・・・。あたしにも徐々に開帳がなされつつある符合論、実に奥が深いです。