貞彦編〔24〕

 父は長崎大学の医学部を落ちて師範学校に行くのですがその前、中学の時点でも勉学で振るわず、体育も苦手で夜間中学に行く。しかしその時同窓だった方の中に寺出身の生徒がいて後年の七十代、そこで布教使の免状を獲るのです。父は恵まれていたと言えるでしょう。年金をあたしのパートナーの四倍の期間頂くからです。パートナーは正味十年の年金生活。それに反して、父は53歳から91歳まで受給。こんな長期間受け取って全く貯蓄を残さなかったことも子供達が起因で恥ずかしいです。脛をかじるあたしや弟の存在をなしに語れない。あたしは父が復員して情熱で心が滾っていたことは想像の範疇です。なぜなら劣等感が大であればある程に男は自尊心が高い。激しいのです。自分は背も低い、学歴も自慢は出来ない、顔もいまいち、体育は全くもって女子にも劣る。じゃあ、一体何??自分でしっかり頭の中で闘争があったと思う。あたしが小さい頃は盛んに司法試験を受けていたんですが、本当に何回も挑戦して母もどこかでこの人物は・・・ってあっけに取られても口には出さなかった。司法試験は日本でもっとも難しい試験と言われているのに挑戦することが甚だ大胆だって。しかしこの件に関して母は何も怒ってはいなかった。教員の世界で一人前になって欲しかったが母の本音だったでしょう。しかしそこは、はみ出し者の父です。上からの評価を中々得られなかった・・・っていうのが事実だったのです。