貞彦編〔30〕

 作家というのは因果な商売でそういう気質って中学校教員の父にはすでに奥底にはあったのかも?って。なぜなら後年、七十代を過ぎて八十代になって自分がその年齢に到達したらやりたいこと、その全容をあたしに告白したからです。今思い出しても父の意欲は十分で、教員時代、出世が無かった分が、不完全燃焼分がおもむろに出ているな!!っは娘の直感でした。しかしあたしにも父と同様に激しい出版に対する片思いがあってそれはエッセイの出版。同じ目的を持ったあたしたち・・・似たもの同士だね?って父娘はよく周囲から標榜されていました。そういう時、あたしは全く母親の存在を度外視し父の方に寄り添っていたのです。しめしめ!!今度の父の京都旅行に自分も連れだって行けるかもしれないぞ!!っていう無謀な願い。それはとうとう果たすことは出来なかった。ネックになったのは家を空けることが心配だったこと・・・まさかのPちゃんの反対もあって、一緒に連れ立って京都に行くことは叶わなかったけど、父は傘寿を記念して一冊の本を刊行する。愛する京都の出版社、百華宛からです。長崎のアーケードの好文堂に暫く陳列されてあたし、もしも今なら写真に収めたでしょう。娘として父が誇らしかった。それを見ていたことがあって、自分がもしも出版するのなら!?って夢や構想を抱いていたことは事実です。もしも自分が上梓を決定するのなら?この下敷きになるものは果たしてなんだろう・・・って。