貞彦編〔18〕

 父はどんな気持ちで戦争に赴いたのか…恐ろしくてたまらなかったことは直に聞いています。台湾に着くまでに何隻かは沈んでしまい、その状況に息を飲んだことでしょう。ひとつだけ親孝行出来たかも?って2013年くらいですが、父を思い出の場所に連れて行けたことです。その当時は陽の岬温泉と言って野母崎にある温泉、そこからちょっと走って橋を渡った場所に父が初で勤務した樺島小学校があったのです。懐かしくてすでに廃校になっていましたが、父はすべてを思い出すのです。心根の優しい、誰に対しても心の門扉が解錠の父は、島民のみんなに好かれて教員宿舎の前には沢山の魚が処狭しと並べられて父はどうしたらいいか?って喜びにむせぶ毎日だったと言います。赴任したばかりというと二十歳過ぎて間もない頃でしょうか、その父に召集令状が来ることは予想外だったでしょう。当時兵隊さんが不足していたことは歴史書を読めば分かるけど、今正に教職員としてスタートしたばかりの父に赤紙が来たこと、相当ショックだったと・・・。父は怖かったと言いながら、その反面を言うのです。この島のみんなに送り出されて出兵出来たことが嬉しかったとそう振り返る。生徒全員が歌を歌ってくれたって。ここがあたしとしては矛盾・・・。なぜなら父は行きたくはなかったはずです。演技して勇壮さをみずから出していたのでしょうか?日本人として分かりません。ここには個があって、ないからです。