貞彦編〔40〕

 長崎えほん風土記の監修の役目を岩崎書店と県から委託されたのは父が市会議員選挙に惨敗した二年後・・・そこを思うとどんなに父が恵まれていたかも分かる。あたしが最初の結婚を決めた23歳の頃です。男性なら正直で荒くれものがいい。あたしの理想としてそこがあったことは否めない。ただ、後付けにはなりますが、父が最高に輝いたその頃、もっと父に加勢する位の娘としての意地を見せていればな!!事態は変わったかも?っていうのはある。55歳の父が出版を謳歌した時代と捉えています。本を完成するに及び、執筆者の方を回り、絵を描いて下さる方を回り、字を校正もしながら父は一冊の本にどれ程の方々が交わっているか?じかに学んだと思う。その後、父の自費出版までは何十年もあるというのに、父がその任務を経験したことがポイントですね。23歳のあたしはまだ気が付かなかった。音楽が主体としてあったからです。でもこうして月日が経過してあたしも着手することが出来た。父とは一卵性双生児のように関わった伯母のことと連動させて、ありし日の光景を語れる幸せ。次々思い起こす。こういう回想録の長所かもしれないなあって噛み締める。へりくだる気持ちが父には若い時からあった。それは全員に対してです。若い者を聖書によって繋ぎとめようとしたアメリカの映画、昼下がりの決斗を昨日見たばかり・・・。聖書と生きる父親の願いは果たされたのでは?とそう思う。どんな荒くれ者だって愛する女性の為になら変わることが可能。この希望は日本にそのまま充て填まるのです。