貞彦編〔34〕

 みんながきっと思い違いをしていたとすれば様々な場面挙がるでしょう。父は我が子の成績不振を誰のせいでもなく本人達に責任を持たせていたこと。その証拠に人生の落伍者というセリフです。いつもあたしたち姉弟に対して発していた。人生の落伍者になってしまったら、果たしてどうすればいいの?はあたしの心には全く浮かんでは来ない。これはけったいな話。人生の落伍者と認めてはないなら、少しは理解出来る。自分に自信があったという証明かもしれない。みんなが心痛めて苦脳に雁字搦めになったとしてもそうまでないのでは?で、一旦立ち止まる勇気は必要です。ここまで落ち込んでいる限り、立ち直れないとか最大限良くない。朝飯前のクリアで出掛けましょう。なぜ、そこまで追い詰められる必要がある?この展開方法ですね。あたしはスタンドプレーが大好きな父によってそのえげつなさも沢山見て来ました。日本人が実はもっとも忌嫌うのがこの様相なのです。しかし父がそういう態度でいたことは性格の素としての父の元素なのです。周囲がとやかく言って治るようなヤワいものではなかった。あたしは今朝、父の為に新語が浮かんだのでみんなに計上しておきたい。自分が自分に参るくらいでないとこれからの道は開かない。正しく自分に惚れる。こういった極上案をジボレック案と総称しましょう。