貞彦編〔41〕

 平均以上の頭脳を持った両親に育成され、あたしは文章の基本を習得しています。小学校に入る頃にはすべて語彙も語感もある程度理解。しかし自然に恵まれたこの土地に移住して来ても、まだ、自分の犯した罪に雁字搦めになっていました。いつになったらこの罪悪感から解放されるんだ?っていう辟易とした気持ちにはならない。それが良心の呵責にもあい通じる道?あたしは西暦1962年を忘れません。玉のような男の子が弟として生まれるんるんだったのです。六歳違うことで、あたしには様々な仕事が生まれます。留守番だったり、台所へ食器を引いたり。しかし母は、あたしが成長する段階に於いても洗いものだけは絶対させない。なんでだろうかなあ?とは思ってはいましたがまだ尋ねません。母としては、順調にあたしが優しい子供として成長していくことが最優先。もう成績にはそこまで拘り見せない。しかしやはり定期的に、子供が犯した罪について当人に考えさせる作業は必要だったのでは?の落ち度は感じます。なぜならそのお子さんはずっとトラウマを抱え頭がずきずきする訳です。あたしは四歳だったことで何のおとがめもなし。しかし広大な心の中に収まる記憶型人生ではこうした空白のスペースも列記としてあることが、あたしを覚せいに導く。誰もが思い出してはいけないことを既にどこかに持っているということです。両親を真っ逆さまに落としてしまうことはあの事件を思い出させること?小学校に入学する前に配慮が身に付いていたのです。