貞彦編〔25〕

 父ははっきり五十代のあたしのことを、容子さんは欲張り!!と表現しましたが、三十代の父こそ欲張りです。やっぱり親子なのかなあって。しかも運動が苦手とはいえ、息子を見ると、足がメッポー速い。これ、どうなっちゃっていたんでしょ。あたしは父に似て足が遅かった。濱田系遺伝子と和田系遺伝子の両方持つことは叶わなかったということでしょう。父とあたしは和田系。光男の持っていた文字の目を貰います。しかし弟には濱田系のスポーツ遺伝子が受け継がれた。そこは間違いない。父とあたしは瓜ふたつ。今でも父のことをこうしてしたためながら思うのは両者は似ているどころかツインのようだなって。父も和菓子に目が無かった。そして美味しいものに目が無かった。あたしが五歳の頃まで、父はデパ地下に寄ってアパートに帰宅していたんです。母から叱られても止めない。周遊が大好きだった。そして売り子との掛け合いが大好き!!父のように教員でありながら司法試験を何回もチャレンジっていうのは、これまで表面に現れなかっただけで、結構いたかもしれません。そして父が大嫌いだったのが日教組です。目の敵のように嫌っていた。ストは今でこそありませんがあの頃、みんなが流行のメリーゴーランドの子馬さんに乗って来るみたいな職員室の騒動があった。父は断固として、反対を表明し、その委員長に立候補。惨敗してしまいますが、この、変だと思ったらソッコー表明出来る精神、あたし立派だと思う。時流に押し流されていくのが大多数だからです。