病いの完治より難しい心の再生

 左腕の骨を折ってしまい入院して長い間の通院と治癒で治ったとします、しかし、どうしてもそっちの方が気になって左腕を庇ってしまうのと同等に、苛められて疲弊したその人の心を全部取り換えるくらいのことが起こらない限り、一生、傷は癒えない。しかしそこまで長い間癒えないのなら最初から傷を負わせなければいい!!って単純に考えてしまうけどおっしゃる通り。私達はどうかすると、無駄と承知で奔走する。このエネルギーを知っていたのか、私の母は最初からボーダーラインを作って父の生家の家族たちとの折衝を避ける方策に出る。確かにいけないことだと幼児の心でも分かる。母はなぜ、そこまでして、父の家族を毛嫌ったのか?大きな疑問符ですが、百パーセントの中の3だけですが、私にも理解が出来る。争いになることは分かっていたからです。お互いにスルーではありません。母が拒否したのです。私達家族は二階に住まわせてもらっている父の実家ですから本来母が折れるべきだった・・・。母は軍国主義で育成されましたが、家庭の中は民主主義そのものだったのでしょう。一度言ったら男はそれを実行あるのみの別の一面も敗戦で学んだのでしょう。信じるべきは己。おいそれと危険にさらすことなど危なっかしくて出来なかった。敗戦で人の心はひとつになるどころか、木端微塵になってしまった別の事情も透けて見えてしまいます。戦争はそれだけ悲惨なのです。勝てば違っていたのでしょうか?いいえ、愚かな戦争が又勃発しただけ....。苛めをクリアしていくには自分自身の明晰な覚悟が問われるのです。