貞彦編〔172〕

 本当に今振り返ると、あたしは苛めを生まれた瞬間から見ていたんだなって。だからこそ、父はあたしに容子と命名した。寛容を母に求め続けていた。そして母親も教え子の名前をどうしても取りたかった。あの生徒のように美しく・・・そして利発で気高くって。しかし生まれたあたしは、じゃじゃ馬だった。どう育成しても踏ん張っても治らない。天性のお馬鹿テンネンだったのだ。産婦人科を退院してすぐからアパートで大戦争が勃発。父はあたしの前でやられる。戦争状態よりも過酷で、謝っても謝っても母は許さない。鳥の名前の付くアパートだった。鳩に当初は入居。今のチトセピアの前身でそこには新婚世帯が大勢住んでいた。公募で当たった人たちの結婚生活だが、両親のように毎日毎日ののしり合ってた家族はいなかった。しかし・・・不思議な感触が芽生える。あたしが病気したとき、ふたりは一致団結する。そして映画鑑賞のときにも思いやりが生まれている。これは一体・・・な、なんなんだ?って。赤ちゃんでも驚く。そして解決のきっかけを赤ちゃんでも掴む。しかし、だからといってしょっちゅう熱を出すことは両親の肝を冷やす。そのことをやがて知る。百日咳、肺炎とあたしは次々病になるけどそれがのちには効果を出していく。中学時代はほぼ欠席のない生徒になる。あのとき、両親が救ってくれたのだと思う。もう注射打つ場所なくてお尻に刺してた・・・。