貞彦編〔9〕

 みんなが昔から苛めってあったんだなあって思い返すいい機会を頂き、私も自分自身を振り返る。苛めたこともあった?って。記憶がないのです。精神的にどんどん相手を追い詰めていくことがあったのなら、それは長女が言うように子供に対して家庭内であったかも?でも社会や集団、そしてクラスの中では全くない。四歳の時、引き起こした事件の猛省があったことで他者に対してはなかった。こっちが苛めに遭うことは多々あったけど私が誰かを虐げるなんてどう記憶を辿ってもありません。しかし自分が育成される段階、特に東長崎に引っ越して来て6歳から22歳をこの土地で暮らす間、観て来たことはやはり母親が階下に住む父の家族達に対して行ったしかと。これは強烈で階下の人間たちが全員、母を嫌いだったことは手に取るように解った。父のもう一人いた姉の子供ですが階下に下宿して長崎総合科学大学☆前身は長崎造船大学☆に四年間通った従兄が私にたまっていた思いをぶつけて来る。母を荼毘にふす前の休憩中です。一回も話したことがないんだよね、容子ちゃんのお母さんと・・・私、それを言われ頭が痛かった。親子ですもの、母が行ったしかとを許せないっていう周囲の正直な気持ち、それが従兄の口から直で語られた時はショックだった。しかし母をどうこう出来なかった。戦争がもたらしたものはそれ程、難しいものなんだなって。