貞彦編320

 善意や本当の気持ち、良心はいつの時代も不変。そこをツヨク強調するのは人間はそもそも弱いからです。扇の要にある人から命令もらうと嬉しさで飛び上がる。しかしそのとき、一旦保留にしても正しいか?そうでないか?見極める心、シビアな良心が必要です。学校ではそこまで教えません。善はいい音です善良の善、座禅の禅、ごはんの膳、全智慧全能の神・・・の全もある。ここまで揃っていながら中々善についてを語れないのは、大きなものには巻かれたほうが得をするっていう浅はかな考えが皆あるからです。特に社会人になれば、その辺を知る。嗅覚はどんどんきくように周囲によって促進され、そこに自己訓練が重なり、研ぎ澄まされいくとき、もう戻れないくらいの悪を重ねても全然気が付かないことだって実際あるのです。しかし教職の世界は違います。人間性を常に見られている。金の使い込みなど、ほぼないし、毛頭、それらに関与がないのが教員の世界です。水はもともときれい・・・君たちもある意味、平等に扱われていますが、学校ではやはり出来る生徒が皆の評価を受けることは事実です。しかしそこでも心はお互い見えるのです。私は生まれたときから、皆が平等でしたよ?なんて嘘っぱち言いません。差があるから努力をする。僅差はあれば引き離す。自由に考えましょう!!誰も伸びる人を止めることは出来ない。そこに教育のしたたかさはあるのです。