苛めに遭っても何も出来なかった赤ちゃんの頃

 父は母の制圧で戦争が終わって捕虜生活が終了してもまだ、戦いは続行でそこで戦慄も走ったと思う。戦争は家庭になったんだ・・・って茫然となった口でしょう。長崎のみんなが憧れた戦後初のアパート。食べるものもそこそこあって、父は丸尾中学校から淵中学校へ、そして母も伊良林小学校から西浦上小学校に転任を無事終えていた。そこに蓄財ゼロではなく、何もお金のことで喧嘩なんか…??って普通誰もが思うでしょう。実は母は義母の家に父がお金を入れているのでは?って邪推していつもケンカが勃発していた。私は畳の上の布団に寝かせられて目の前を包丁が飛ぶ日もあった。お膳に紅い塗料が施してあったのか包丁の形になってお膳に傷が付く。私は赤ちゃんでも言葉を理解していた特別なベイビーだった・・・。その時必死で父がもがき苦しむ心の中も透けて見えていた。私は父に同じことで相手の怒りを買わないようにとアドバイスをテレパで送る。お金を話題にしないこと!!って。父にテレパシーは通じたのかそれから母は怒ることはしなくなった。しかし今度は別の件で母は激昂する。それは父の買い物症候群の性向で、売り子に、買って!?って言われると嫌とは言えない点。母はそういうのが大嫌い。赤ちゃんの私が世の中を決めるキーワードをすでに知らされていたこと、そして、どうすれば苛めから脱却出来るのか?父から学んだ可能性大ですね。