年金を考える、そして、苛めも封じ込める

 変な話・・・私達は年金を本当に実態見たのかな?っていう位、世に生息は滅多にしない、レッド認定の動物でも探す感じで木に登って年金を見る。そういう風に目が変化している。ツシマヤマネコという種類の猫だとしましょう、そんなレッド認定している年金なら将来は何かが起こって、貰えないっていう事態にならないは百パーセントないとは言えないのに、誰も何も言わず突破口もなし!!いや、言ってる人は大勢いるけど、どういう訳か現状に甘んじるしか手立てない。国がやってるからでしょう。それが今の実態。いじめもそれに極端に言うと似ています。解決もしないのにしたんだって言い張って数を堂々公表。心にある傷について誰も論じない。あるとしても小さな扱いで中々ツツウラウラまで届かないのが実情です。根底の論理に、どっちも悪いじゃないの?っていう日本人特有のお遍路がある。そう言う時ってねえ、どっちにも非があるものなんだよね?って。したり顔の日本人なら私は忌み嫌う。百あればその百のケースでそれぞれ精査しないといけない。基本中の基本はおざなりにされて本当に苦しんだ家族には全く寄り添えてない。初動が問われているし、迷宮入りにはしないということで命名されたおみやさんのような人物が今後、一杯出て来るでしょう。各界に次世代では要請されなくとも出て来る。この論客たちはきっと未来の担い手であるし、ひとりひとりが思う時代絆というチェーンにもがっちりフィット出来ると私は期待する。だからまだ、この国を評価出来る。皆も懐疑的になるのはいいとしても、それなら自分はどう出る??この自発性を失ってはいけません。