貞彦編〔45〕

 みんなが勘違いしているのはピアノは弾けるからそれは音楽的に卓越していること、そこは理解平均でいいのですが、実際は作曲出来るかどうか?ここまで到達しているのが真実の技能です。しかし弾けることが難解なのでそれが出来ることで一旦思考とまった状態。これでは味噌もくそも同じ。なぜ、こういったことにも気が気が付けないでここまで来たのか?それは日本の音楽教育の謎です。音楽五線紙に譜面も書けないのに実は耳だけは達者。これこそが日本素人の状況的成立。でもあたし、父を見ながら恐るべきことに気が付くのです。自分では全く楽器を演奏出来ない。それなのに音楽を堪能し五線紙を一緒に堪能出来ている伴奏脳ならぬ伴走脳。母は確かにピアノは弾けたけど、父より涙線が未開発なのです。あたしは文学にも同じ理屈が言えるのでは?って仮定します。むしろ本を読まない人の方が琴線は響くのでは?っていうもの。あくまでも推量域。まず素人には先行するものがない。なぜなら、ある程度知識が先行する人々には偏見があるのです。既成概念が強固。しかしまだ、初期の人々には初顔合わせと言うルツボがあるのでは?って。歌謡曲が教えてくれたこの境地があたしのその後の試金石になって行く。誰が決めるのか?っていう定義です。音楽も、文学も大衆の評価に影響を受けざるをえないんだな・・・は強くアラートしたのです。