青バナ垂らしてた園児たちの威風堂々

 ハイソサエティな教育を受けて自分には自信あるはずなのに、このアオバナ園児たちに圧倒されそうになったあの瞬間の脅威。ここをみんなで考えましょう。なぜ、怖かったのか?苛められるって咄嗟に想像したのか?彼らが自由闊達だったからです。苛められそれが日常化してくると段々自分を制御する力も弱まってくる。その前の段階には、驚異観念があるのは見ての通り。そこを現代に置き換えるとかなり見易くなる。社会という驚異と捉えずに、むしろ自分のスペースに割り込んでくる同胞・・・そう認識する方が実は楽です。みんなが様々な意見を持っていることを下敷きにしつつ、勢力のある者は辺り構わず自分のテリトリーにランダムに仲間として編入させていく。そこで村八分状態になってしまうなんてこっちは困るのです。みんなが傍に終始付いていられればいいですが、個人的な時間も学校生活にはある。その時が実は怖いのです。保健室に逃避する生徒をいちがいには責められません。権力に対抗もせず自分を高めていくには人生での手練手管も必要。そこを学生時代に包括しておけばその後、破格の人生を送ることが可能になる。その為には孤独を吟味しておくことが一理ある。重要な自己精査です。孤独を我がもの顔で自分の指揮下に置くのではなく孤独を放し飼いに出来るくらい自分の傭兵にしておく。決して難しいことではない。人生の目標が立っていればおのずと出来るのです。