正しさの裏に生息する数々の視点

 私の意見と世間の意見まっこうから対立することもある。世の常識とは離反も見られず世の常識にくみされるだけなら作家の位置など、か細いもの。でも確固たる地盤を築く作家なら人の心のコントラストも見える。深く推考すればする程、社会の仕組みの中に、まだ、誰も手を付けたことがない原野が開けていることに驚く。私達が正しいと親から教え込まれて来たことに、全部イエス!!っと言っていくなら何も解決しないでしょう。日本の中のまだまだ根っこには、子供を母親の産物と見てしまう傾向があって、そこで大きな軸を獲って来たこれまでの教育的原点を思うと、ひとつの考え方ではもはや効能出来ないな!!を思ってしまう。それぞれが自分がどうすればクラスの善処になるのか?力を存分に出して動かないといけないのが苛めの現場です。解決しようとすればなお結果は遠のく。誰もが異次元にある遠くを見るような気持ちでことの真相を見ようともしない・・・。それなら解決したいと思わない方がまだ、救われる。苛めを本当に見抜くには社会の弱者にも目を配っていくことが鮮明なシナリオになる。なぜ、苛めに走るのか?いじめる側にも相当のストレスがあったはず。それなのにここまで悪化して来たのには背景に差別の意識も関与すると私は捉えます。何かこう得体の知れない力を禁じえない。そういう軋轢から子供達を守ることが可能になるとすれば?それは出来る教師の力!!ベテランだけではない。まだ、なりたての教師にもそのチャンスが巡って来るのです。