家庭の温かみを味わっているという幸せ

 家の中で家族に揉まれて育成される・・・どんなに幸せなことでしょう。私は甘いようで子供に厳しい側面も持っています。放任とは違う種類。私の背中を見ながら子供たちは育成されるを百も承知ですから私がとことん自分の姿を見せる努力を平常心でこなしていく日常。しかし年増の人間、特に人生を長く生きた人々は私の手法を嘲笑うように言葉を吐き捨てながら通過していく。自分の手法が確固としてあったことが今、ここまで来て、解明してくる。人の教えてくれる手法はルールであったり世の常識路線。そこからは実はほぼ何も生まれない。苛められて、くやしいとか心が萎える・・・っていうお子さんに共通しているのは何とかしてこの現状を打破して告発も同時にして行くという気持ち?そうではない。お子さんの未来を鑑みて一緒に悩む、そして社会人の世界にスムーズに溶け込む時期まで及んでアドバイスすることが可能になるには、嫌なことから逃げる体制では良くないのです。しかし、いつか、その苛めも跡形もなく消滅していく。苛めている人間達もこころの成長を余儀なくするからです。何でもかんでも解決出来るとそう大人はマニュアル対応ですがひとりひとりのケースが全く違うことをまず抑えること無しでは先はない。一人で悩んで死まで決意している生徒の本当の言葉を探り出す。この辺には貴重なプロセスがある。生きるということは実は辛いことの方が多い。実情は思うより以上にシビア。ダイナミックな意識を自然体で培っておけば後の人生もオープンに展開することになるのです。