いじめは心理的と肉体的に分かれる

 私が幼い時に起こした事件は肉体的なもので相手をアパートの階段で突き落としてしまう・・・。この時にどういう心理状態だったか?っていうと相手が約束を破ったことに対する抗議だったのかも?って。しかしそうであっても約束なんて一過性のもの・・・。なぜ、暴力に走ったか?ここを見極めていくと苛めにも、肉体的と精神的の両方が存在することがわかる。私は耳元で誰かが咄嗟に囁き、力を出すな!!っていう声。それで力を入れてなかった。それでも相手は数針頭を縫う大けがで今でも鮮明に覚えている。辛い。謝って済むことではない。もしも?うちの孫が今ちょうど同年齢ですから母親である娘は私を攻め落としに来るかも?っていう想像も成り立ちます。その時、私の耳元に囁きかけた存在こそが今にして思えば神様だったのかも?って思うんです。そういう思いにまで到達したのもその後、新天地に行ってもついぞ忘れる事が出来なかった・・・。両親は非難を浴びることから私を遠ざけて心の再生への道のりで伴走を果たしてくれた。本来なら危害を加えた方なのに、やはり親の心の有難さに感謝の気持ちで一杯になる。あの時の状況は自分の落胆を相手にも分からせる!!っていう怒りだったと思う。陰湿さは全くない。しかし昨今、精神的な苛めが多々ある。この両極をまず知ることが苛めの解体新書になるのです。