どんな些細なことにもポイントがある

 恐らくこれまでの手法が間違ったとしたら性能悪い方をみずから選んできたせい。文脈の弱い方をわざと選ぶやり方、穏便に済ませたいからこその手法、そしてマニュアル依存。もっと様々な意見を街の界隈から拾っていく落ち葉拾いの手法も大事だろうって思う。決まりきった手法しか出せなかったのではなく刷新も必要とされてきたのに、自分達身うちだけの論議で逃げおおせてきた。こういう場面、これからも出て来る。私は苛められた子供の方に立っています。なぜなら苛めた方にまず猛省してもらわないと・・・それが出来て初めて社会人。学校でのクラス人です。ごめんなさい、申し訳ございません、そしてこれからはこういうことが二度とないように精進します。それが言えないとなれば大問題!!弱り目に祟り目は苛めた側にある言葉で、苛められた方がそれを今、握っている状況。この言葉を相手に速やかに献上しましょう!!すべての道はそこから開くのです。