貞彦編718

 西嶌姫瑠を知る世界と全く西嶌姫瑠を知らない世界。このふたつがドッキングするとき、知らなかった世界にいる人々は恐らくすべての面で出遅れるだろうし、知っていた人々は西嶌姫瑠がどんな人物なのか?先に学習している。つまり、衆知の事実ですべての面でリーゾナブルだろう。知らないのに知っているという人々も恐らく居るだろう。知ることの強弱や浸透度の違いはメディア依存の日本ではあまり語られることはない。あたしたちは危惧はしていない。日本が民主主義国家である証明をあたしを通してみんなに寄与されたも同然だからだ。知りたくはない人々も多い。西嶌姫瑠の存在を許可したくない人々も多いかもしれない。そういう人物たちもいて自然なのだ。昨日歌川広重の東京百という絵を見てあたしは感動した・・・これはすごすぎる・・・って。ゴッホの絵もたじたじになるくらい。日本の宝だ。武家と町民の個性の両方を持っていたからこその多様性で細かい描写を歴史に照らし合わせながら描いている。そこで中国の閑古鳥が出てくる。諫鼓鶏だ。今こそ、中国はこの鶏の鳴き声に耳を貸すべきだろう。自分たちの国がいかに立派であったかを再確認して欲しいからだ。これは川柳に残しておこう。でわ行きましょう。中国に 果たして聞こえる? 諫鼓鶏☆ロシアに加勢する今の現状では無理がある。たぶん聞こえてない・・・☆