貞彦編〔97〕

 今ならみんなが回覧出来るから、おおよそのニュース広場の状況や人々の意見は知ることは可能。特にすまほの躍進ですよね。しかし・・・当時はいかに大衆がそれを知るのか、興味が湧いて来ます。確かに幕府の慌てようは庶民も同位で、しかし、垣根があったはずです。瓦版のようなものはあったとしてもそこで厳正な投稿体制があったとは思えず、かといって有名な川柳師がいたとする説?そこも実は考えにくい。なぜなら御本人がいたのならここまで改訂がなされないからです。あたし、幾つかの箇所が段々変っていったことによって逆に認識を深めるのです。夜も眠れずではなく寝られずだった可能性?そしてここまでの名歌に整ってきた経緯こそ、あたし達の今後も示唆されて包括済みなのでは?って。これは嬉しい号砲です。少なくとも今の時代、令和は西嶌姫瑠という文人が作った川柳と断定が出来る。だからこそ、将来へしっかりと引き継がれていく。もしも詠み人知らずならどうなるでしょう。人々は口つ”てに伝承を繰り返し、それは固定化されてやがてひとつの狂歌として収まりを見る。あたしの場合、推敲はあたしのみの手作業ですが、この黒船の狂歌は大きく捉えればみんなの合作と言えます。なぜなら作者ご本人が存在するのなら変遷はない、後世、起りえないからです。そこを踏まえると逆に素晴らしい過程を経たと総合出来ますね。ブラックシップに乾杯〔完敗〕です。