貞彦編256

 ぶっちゃけあたしの失敗談なのでそこまで苦にせず聞いてみたらなるほど・・・っは出て来ます。学校に届けることを精一杯頑張った別の一面がそこで浮き彫りになっている。あたしは子供が苛められていると分かっていても送迎し、出席させること、それが親の出来る範囲のイイコトとそう思い込んでいたのです。しかしそれによって子供はいかに理解したのか?今もアッシーになる毎日。どこかで親と言うものの実像を見誤ってしまった子供。それだけ親が子供を愛するということは完全に見せることは出来たけど、卒業も叶ったけど・・・多く見逃したものが存在する。子供の闘う心。これを育成し損なう。しかしじょじょにですが、ようやく子供にも自戒が芽生えています。確かに親は身を粉にして紛争解決に乗り出し、義務教育にあたらせることが名目上一位。しかし根本があるということです。将来、ずっと親に依存してしまう子供になれば、親としてそこが反省点になる。多くの悩める親御さんがいてどうしてもあたしと同じく、ただ、学校に送り届ける!!では将来的に依存心の塊になる可能性があるという事実。子供があればしかし救われる面も多い。苛められたこと、それが母によっていい思い出に転嫁されていく・・・親子が親密により闊達に論議が行われて思い出も強固。今は一文字で呼ばれています。ばあ☆婆☆って。最初はばあやだったのが短縮になってしまった。