暴動の渦中にあって学んだこと

 私が何を望もうと、社会って言うのは家族単位の家っていうのはそれなりの決められた初動にあること・・・これを赤ちゃんの時、認識して、じゃあ、自分が危険にさらされた時一体どういう対処が出来るか?って悶々として、それこそアパート天井の電灯見ながら考えていたあの頃。その光の温かさ。そこで、ダメなんだ・・・自分が赤ちゃんだから出来ないんだではなく、この様相の中にある自分ってある意味凄いぞ??ってそう思えれば進歩です。この様相を心の眼で観察し覚えておけばいい。何も出来ないからダメ・・・ではなく原点にあるのは環境であり置かれた立場です。澄んだ眼を持った社会人になる基礎とも言える。私達はそこで学ぶ。いい大学を出て第二の競争が開始されていることに無頓着になってはならない。プラスアルファを会社が求めて来た時ですよね?エリートといっても私が目指すエリートは社会に貢献出来ているか?会社の一員として有益なのか?そこまでを検証把握済み。日常茶飯事、しかし、そういう手堅い話ではよくないし、ユーモアや下駄外しもしましょう。心に余裕を持つことがトップへの道のり。☆下駄を外すは、梯子を外すよりも実は巧妙☆