ドラム缶で燃やした物書きとしての思考の紙切れ

 みんながどう思うかしれないけど、文豪だって庶民だって同位です。そこで比較しても全く同じまな板の上にあるのが苛め・・・。私は熊本時代、この三年間に相当のエッセーをポスト投函し、千枚にも及ぶこの原稿のたった二枚しか採用されず、危機感を感じます。あとの一回は抗議をしたすぐその後・・・。自分には文章を書く才能がまるでないのでは?って。さあ、夫が長崎に家を建てて引っ越そうかっていう時点で、啓示がある。原稿はこのままずっと掲載もなくシュレッダーに掛けられるだけ・・・。じゃあどうすれば?って自分で疑問視しながら先へ行くと道筋が語られるのです。啓示です。原稿を残す為にはファクス投稿に切り替えるしかない。自分の元に原稿を残していくやり方なら同意出来るって神が言う。私は神に追随し新築の家でかなりの意欲を持って機材を買い込みます。すべてほぼ多良見のベスト電器で揃えます。先日新たに会員になったのもトートバックの色彩に惚れたことと、そういう最初の私の意欲がこの店舗にはみなぎっていることもあったのです。入会記名は娘に代行してもらう。彼女は私の窓口だから。しかしファクス投稿になっても私の採用は全くない・・・。困ったちゃんになってしまう。ただ、俳句だけは何回か選ばれサンデー毎日に載ります。もちろん週刊誌にも多々エッセー投稿しますが新聞社のことをしたためていますから最初からアウト。こういう醜い社会構図を知れば知る程、どれだけの勇気が投稿に必要か?みんながそれに段々今気が付いていることは嬉しい安産ですね。〔暗算が架かる〕