俗に言う常套が苛めにはある

 徹底的な黙殺を受けた私の場合、段々自分の感性が逆に研ぎ澄まされて行き絶対にこの経験を後世に活かせたらいいなって最初からやる気十分。迎え討つ用意も出来ていた。なぜなら、私は絶対にそういう目には遭ってはならない顧客、ユーザーでもあったからです。そこはみんなとは若干違うかもしれないな?って。ユーザーは絶対的地位を持っている。みんなも自分が苛められて段々弱っていくのではなくもっと勉強を積まないといけない。いじめは強い方が弱い方を下敷きにすることでやってはいけないこと・・・それなのにここまで来た背景には見て見ぬ振りが大半を占めていてそれを知っていていじめをやる連中も溜飲を下すという恐るべき構図。こんなシステム誰だって味わいたくはないけど自分の身に降りかかって来た時にすぐに先生に相談しても全く動かなかったりするので、事がややこしくなって悪い方へ行ったりする。先生動かないイクオール苛められた方が悪いっていう具合に・・・。自分の感性で計りましょう。見極めが必要です。苛めには恣意的と利己的と意図的、この三つがたっぷりと含まれる・・・。個々気が付くのは割と早い。この直感を活かすのです。そしてここに故意的が来たときはみずから動かないといけない。本当に怖いからです。誰も救ってはくれないと自分を放棄しない。徹底的に自分を大事にする。人生を第一に考える自分でいて下さい。そうすれば道は開けます。