あいつは弱いのか?それとも強いのか?

 子供達の世界でも強いもの、光を帯びている者たちのグループと、光の全く届かないグループはいて光輝くグループがクラスを担っている・・・ってそう思いがちですがみんなに権利や効力は芽生えています。人はみんな生きていく上で平等だからです。小学校、中学校、高校この633制がやがて義務教育になるとされているゾーンですが、しかし本来の天才児がこのカリキュラム内では中々育成が難しい。ふたつの自分を演じないといけないからです。クラスでの自分、そして創作や芸術の地盤にある自分。しかしどちらもするのは大変だからと義務教育クラスをスルーするのは本人にも良くない。どっちもやるのは大変だけど〔実〕もあるのです。私が、落ちこぼれを思うのもそこから来ています。中学では優秀だった人々がほとんど・・・。高校で初の受難に遭う。伯母の知り合いの医師はこう表現しました。容子ちゃんは教育の過渡期に居合わせたのよ?って教育の過渡期・・・覚えておきましょう。無理に変えようとすればそこにしわ寄せが来た・・・という例になりますね。