苛められたらわかるいじめっこの悪徳

 なかなかこれは自分が被害者にならないと分からない苛められた人の心境だろう。いじめっこは自分が苛められて初めて心の疲弊を体験して、ああ、どうしてこんなに辛いんだろうってやっとこさ我にかえる。しかしだからといって苛めがやむと誰が言い切れるだろう。立場が強靭な生徒は成績のいい子ではない。これまで観て来て思うのは苛めには必ず精神的いじめと暴力的いじめがある。前者は無視など仲間外れで後者は強制が半ば入ってくる。金を持って来いとかカバンを持てとかの強要でぱしりも含まれる。そこまで従う必要もないのに・・・と思うかもしれないが苛められない為に仲間に加わっている為、断れない。いじめ問題を解決するにはその行為がいかに馬鹿げた破廉恥なことなのか分からせる方法しかないし、そこに辿りつく。たった一人に十人が加わって無視をするのならそれは人間とはもはや呼べない段階まで来ている。