貞彦編〔55〕

 ディベート力だけで国が発展すると思ったら大間違いで、知識や外交力では補えないものが文学であり、音楽です。絵画、写真など他にも一杯ある。あたしが知識ゼロでもどうにかこうにかみんなを牽引出来るのも愛があるからです。母国に対する愛。そういうのがもしもゼロならあたしに言論の余地はなかった。かっこいいスピードある論調で物事を進めるから全部包括なのか?って言われればおのずとノーと出る。我々は理性の後ろに感性が控えているからです。みんなが自分の意見を持っている。人と対決して勝てる言論ではないにしてもそれなりの言葉を持っている。いい意味でそういうアフターコロナの論調を引き寄せることに成功したなって思う。みんなの意見はそれぞれでいい。大事な局面が来れば束ねる必要はあるけど今はその時期ではない。どこまで言い合っても並行線、そして平行線。激論自体虚しくなってしまうけど、そうはならない為に、新しい交流を発見したと言ってもいいでしょう。ずっとあたし自身迷ってきた。迷路の中にうずくまっていたのに急展開が起こっているのです。バックツゥーザフウーチャーを観た時にも同じような使命感が誕生しました。それはあの物語が1955年1985年2015年ときっかり区切りがあったことです。あたしは最初、自分は1956年生まれだから関係ないね?ってそう問い掛ける。すると啓示がある。いつから子宮にいたんだ?って。そこで理解出来たのです。同じようなやり方が可能になるという暗示ですね。イイコトは咄嗟に真似る!!