貞彦編〔54〕

 父の場合。桜馬場中学校に居る時は東高へ生徒を送り込み、大浦中学校にいる時は南高に送り込み、丸尾中学にいる時は西高に送り込み、そして渕中学にいる時には北高に?そういった公立高校最上主義で来た中学校教諭人生。娘がとやかく言うのも的外れではあります。しかし昨今アメリカで起こっている黒人人種差別の対立であたしは自分達の悲劇をまず連想した。高校生でおちこぼれの烙印を押されて人生を台無しにしてしまったあたし達も、同様に、差別を受けたんだな!!ってそこに法外にも気が付く。しかしどういう訳か、誰も声を発しない。こんなに不利益を受けても誰も何も?いいえ、当時は、今みたいなツイッターなどないし、自分の意見述べたくともない。全くないとまで言いません。新聞の投稿欄くらいでしょう。いかに新聞が大切な存在だったか改めて明確になる。しかしあたしは父に自分の人生で分かってもらえるのでは?って疑似確定ボタンを押すのです。あたしの人生の集大成で父に必ず示せるって。落ちこぼれだってここまで頑張って行けるんだよ?をまずファーストキャッチするのです。しかしまだ、自分の中で何から着手していけばいいのか?手法が分からない。詩ももちろん候補として控えていました。詩歌ではないのか?って。今も謎なのは父の著書の仏教短歌です。あれは妹ミチが好みそうなものばかりの内容になっていて父の妹への愛の証明?いや、本当に美知がしたためたものなのでは?・・・挿絵と短歌がセットでした。想像は尽きないのですがミチがしたためた短歌なら父がそれを言うはずですよね。