ローマ教皇に学ぶ

 ユニークな物の言い方でフランシスコ先生には参った感があります。私は焼き場に佇む少年がまだ、人物が特定出来ないことの神秘を思うし、早く見つかればいいなあっていう切なる思いの逆も、ふっと思うことがある。未確定のままならどこか神の関与が加わるという不思議域です。私達は何もかも追及し、ディティールまで調べないと埒は開かないと思い込む性癖があって自分もそういった記者傾向がある。しかし音楽が生まれる瞬間を例えれば、それは不意にも迷い込んで来たり舞い降りて来る種類のもの。その瞬間をカメラマンが捉えた奇跡を思う。同時にあの写真は神様が撮影させたもの?っていう気持ちにまでなってくるのです。背負っている赤ちゃんはすでに亡くなっていて焼いてもらう順番を少年は待っている・・・。なんていう悲劇でしょう。日本の偽らざる過去です。その写真が頭から消えずずっと長崎や広島を思い続けてくれた教皇の美しい心を私はかけがいのないものとして捉えます。日本に来てくれてありがとう!!って。苛め問題に関しても数々話して下さって、みんなもそれを知ることで今日から一歩先進出来ますね。