貞彦編208

 昨日ホテルに出かける前に、イーストウッドの新作、リチャード・ジュエルを鑑賞。ちょっと不可解だった。あの女性記者の変貌だ。公衆電話まで歩いた時間で、リチャードが犯人ではないって気がついたからといって、あんなに涙を流してしまうのはおかしい。人はそこまで善良ではない。マスコミは寄生虫のような性癖を持っていてこの女性もどっぷりそれに浸かってマスコミの力を悪用していたはず。しかもデスクに足を乗せて・・・。身体まで売って情報を取ってた。なんかもうちょっとリアルに時間を経過させて表現して欲しかった。性善説に、いきなり統合しようたって無理からく。この手の女性はなかなか改善しない。それなのに簡単に自分が間違った・・・ってそこで涙を流してそれで、視聴者が納得に導かれるか?っていうと違う。マスコミの闇は深い。このことから相当に乖離している。しかし、参考にはなった。税金を払ってないとか、普段読んでいる本を調べられたり、検索した事柄まで抽出されて、だんだんと犯人像に近まっていく過程が興味深い。タッパまで持っていったと呆れる、タッパーではなくタッパと言い切るとこがいい。母親の嘆きが身に染みる。この息子を演じた俳優は大好きだ。本当に善の塊のような人物だったが誤って人から評価されたり、逆の暫定を頂いてしまったりと、そこも実に人間らしい。キャシー・ベイツの役柄が秀でる。お母さんのぬくもりを抜けば男子は、キッチンのたわしでしかない証明になる。