苛めてみたいの逆発想

 これこそ、不可思議と言える境地でしょう。苛められたからといって、反撃に出る生徒の少なさでいじめっ子が何を軸に動くか?そこが明らかになる場面なのでみんなも一緒に類推しましょう。なぜ、いじめられた人間が反撃に出ることは少ないのか・・・ほぼないです。これはいじめっ子が怖いとか、そういう単純な発想ではないので注意は必要です。自分が苛められてそのみじめさは存分に味わってそこでさらにそういう人間を増やすことが出来ないっていう愛の現れ・・・もしも私の仮説が正しいのならみんなが発奮する場面です。苛めっこが優しい人を特別に標的にしている部位よりもかなり信憑性があるので、苛めをなくしていく為の原動力にもなる。こんなに辛い気持ちには誰だってなりたくはないぞ・・・そういういたわりの気持ちがあるから反撃には出れない。私は文人です。物事をいい加減に出来ない分野にいる。だからここで反撃とは言い難いものの、苛めの検証に出たのです。