貞彦編927

 

父は穏健派ではない民主主義者でした。どうしても左翼の言っていることが飲み込めない気質あり・・・で、あたしはそれがどこから端を発しているかを、後年、つまびらかにしていきたい自分がいたこと。しかし結婚した家庭では今度は子育てや、家事、金の工面に追われて、なかなか出来なかった。文学者や思想家としての部位をバンカーの妻になったことで時間を得て、ようやくやりたかった研究に入ったことは言えます。しかし投稿を開始してからの五年半は、短歌に時間を費やす以外にはなくて、六年目あたりから本格的に随筆開始した関係で、五年間の集大成は短歌に宿っています。しかし自分で保管をしていなかったために、ハガキ投稿の分はまったく残っていません。夫が,九州銀行で初支店長になって宇部に転勤したときは、まだ、実際には自分が12年連日新聞投稿が出来る・・・などは思っていません。五人目の出産を四ヶ月後に控えてあたしのこころは弾む気持ちと不安な気持ちが交差している状況だった。しかし一念発起したのです。両方ともできなくなるぞ!!っていう警告をみずからに発したのです。新聞だけに賭けてみよう・・・そこで、何年を継続出来るかをみずからに問いかけ、これからの試金石にしよう!!って。家にいる主婦だから挑戦できたことは言えます。上のふたりの子供が下の5歳と4歳の子供の面倒を絶えず見てくれたこと。奇跡は家庭の中から生まれ育くまれていったのです。ほな行こか。月の石 出たら次は 太陽や わてに任せて くれまへんか?☆瑠姫☆