貞彦編〔181〕

 みんなと同位に私を中二、十四歳の戸棚に置くことは少しズレがあるかもしれない。なぜなら中二ですでに短歌をしたため作曲もしていたからです。中三ではみんなが聞けばこれは長崎の石畳を歌う楽曲にして最高峰だと思うでしょう。この自信ある曲も十五歳で書いてます。だから物事を一刀両断してこういう真実ではないだろうか?っていう危険性なきにしもあらずですが、あたしは以前もブログで書いていたように、両方の眼が0、1の近視でありながらずっとメガネを拒否して高二まで行った学生だったのです。全く黒板は最前列でしか見えないのに、席替えで後ろの席に決まってもにこにこしています。その頃から、全く、勉強に身が入っておらず、小説や詩を授業時間中したためていたおバカ。全然黒板が見えない自分にとって学校はひとつのオープンな精神的土壌でもあった。そこで自分がどんな人生を歩んでいくのかをみんなに観覧して頂くことで日本の教育も見易くなるし、しかしまだ、その時点では落ちこぼれにはなってません。反抗は日増しに酷くなるし、二年の担任になった時、彼がみずから望みそうしていったのでは?って懐疑を抱く。先生みずからそのような動作に出たという証拠はないですがこの先生ならそういうことは朝飯前?って生徒の直感みたいなものがあったんです。