先生同士が、あの子、ちょっと問題児なのよ?っていうとき、昔なら、ああ、ガキ大将タイプだなってすぐにも分かったけど今は、ひそひそ・・・先生たちもその個人によって見定めに困るケース多々出て来ているんですね。先生を先生とも思っておらず、教諭なんてさ、うちのお父さんの方が学歴や会社でのポストでいうと、ウエ!!ってそこで勘違いしている生徒もいる。社会全体を見通す社会力を身につけるからです。間違った概念ですが、世の中が強者中心の社会をずっと延々と続行して来ているのなら、子供の目から見てもお父さんの方が実際は上なんだ・・・に収まる。教師は以前は聖職と呼ばれみんなから尊敬されしかも学校長ともなれば、それ相応の尊厳あったのに今は格段に落ちて、例えばモンスターペアレンツへの対応もおずおずと手探りでやっている現況。これは社会が鏡になっているから。断言出来るのは頭のいい子ほど社会を見つめる視点が開けている。ここがネックです。頭のいい子の起こす苛めとそうではないの起こす苛めには意図と着地点が違う・・・という現実です。成績は奮わない、まだどこかに純な部位も残っている後者の場合はまだいい。しかし格闘する位の気合いが教師に求められるのが前者。間違えばその子は社会のダニ以下の存在になっていく・・・これは人の心にまで及べないゲスという部類ですよね。