貞彦編〔96〕

まずみんなが気が付いていないといけないのは、どっちが主なのか?この構築根底です。どっちが主で何が架かっているのか?上喜撰に蒸気船が架かっている?それとも逆もありうる?ここがコロコロ動くところも川柳の有終。逆に言えば有終だと思ってはいけないということです。みんなは固定観念でこう言いたいでしょう。恐らく学者たちはこぞって、たった四杯に夜も眠れずがあるから、この杯と共に、茶が主で四杯が続いているとそう想定してしまう。しかし逆の根底も存在するのです。たった四杯でっていうのは主は四隻の船。そしてそれゆえに蒸気が主になり、茶は従になる。イカやタコを数える時にはハイと言いますね。日本語の深さ、そして奥行きを感じて頂ければあたしが説明した甲斐も生じる。表と裏が交互に入れ替わる可能性が日本の文化の枠組みに常にあることは頭に入れておきましょう。なぜならここに陰と陽の文化が逞しくも存在しているからです。あたしは固定的観念を嫌って今日まで生きて人の意見に時に逆らってきた人間です。まず疑ってかかる。そして迎合したことは一回もない。自分がこうだ・・・って思うその直感だけが頼りだった。これからもこの姿勢を貫く。もう一点、まだ、隠れている論争があるので明日解説しましょう。ただ単に江戸から令和までの道のりをスルーっと来た訳ではない。川柳人たちの壮烈な言論の戦いがあったという歴史です。