貞彦編〔7〕

 タヤは男の子の誕生に喜び勇み、その二年後にも男の子に恵まれるのにえき痢で命を落としています。男の子二人だよ~ん!!ってタヤはきっと万歳三唱したと思う。しかし当時の医学はまだ発達してない。輝彦と命名されて父の弟は周囲からも期待されていたのに僅か三歳で他界する。私はこの大正の末期に思いを馳せる。誰もまだ、自分の子供が戦地に行くとは想定してなかったのか?それともいずれは召集命状が来て戦地へ行くことになるのか?大衆的な予知が当時どれ位あったのか?時代考察する。ただ、言えるのはタヤが矢上神社の横の土地を手に入れた経緯。そこはやはり存分に恵まれていたのでは?と情報の利を思う。これは想像ですが、長崎でもっとも古い神社の横を手に入れることはた易いようで中々出来かねる。私はその土地を購入した時の二人の喜びを頭に描く。光男はのぼり旗を制作し、タヤが手縫いで手伝ったこと。美女と野獣の反意語がこれだろう?!ってあたりを付ける。例えば私は文人で短歌の色紙にしたためる。そこに絵を描いてくれる・・・とすれば素晴らしい効能を出し合う両者でしょう。美女と野獣の反意語というと次のようになるのでは?文人と絵描きです。みんなが、えええ?って言うのならまだまだ青二歳です。